なぜ日本企業は勝てなくなったのか―個を活かす「分化」の組織論 感想

タイトル通り「日本企業は分化ができていないから勝てなくなっている」という話の本。
空気として同質化的なものを求めがちだけど、見よう見まねで形だけ分化をする。結果、分化はできていない。
「分化」の意味が少し咀嚼できてない面があるが、同じことをするように人を集めるのではなく、個が生きるようにして組織を作るという感じだろうか。
誰か特定の人に依存している形は良くないけども、チーム全員が同じことをする、というのは結果的に個々人の能力を全く生かせていないのだろう。スクラム開発などを行っていて、ある程度は「替えが効く」形での開発を行うが、あくまでそれは最低限のタスクをこなす能力という感じで、そこからさらに付加価値を高めていくには、個々の能力を生かせる組織でないとダメなんだろうと思う。
スクラムにおいてマネジメントみたいなものは可視化することで皆が行う面があるが、
ここに誰か1人がマネジメントする=上下のつながりになる要素があり、そのスタイルで行ってしまうと
デイリースクラム的なものが、俺がマネジメントするためにやる、みたいな形になってしまって分化ができなくなるのだろう。
可視化せずに誰かがマネジメントするスタイルは、ある意味他人にとやかく言われなくない人には楽な働き方で「私の思い通りのものをつくってもらう」「僕が考える最強の○○を作る」ことはやりやすい。
しかしそのスタイルでは相当な知識と勘とカリスマ性先見性がない限りは平凡なものしかできず、競争力のない作り方になっている気がする。
私は作るものを考える、あなたはそれを作る という役割では分化か?とも思ったが、個を生かすのではなくただの分業であり、むしろ外注的になることはそれは違うように思った。
もちろん物を作れる、作るものを考えらえれる、ことがスキルとしてあることは役割を行う意味にはなるが、可視化しないということは考えさせないという点では、能力やりたいことに関係なくマネジメント側が勝手に役割を規定しているところはあると思う。
異なる専門性の集団をという話で、なぜか1年遅れくらいでカンブリア宮殿の初台リハビリテーション病院・石川誠さんの話(2017/6/15)を見たのだが、
医者だけでなく理学療法士、言語聴覚士、看護師などが一つの患者をリハビリするという目的でチーム化し、フラットな関係で行っているというのを見て、それぞれのプロフェッショナル性を生かして、その中で連携しあうことが大事だし、この連携自体はうまく作り上げないとただの分断組織になってしまうのだろうなと感じた。
多様性をマネジメントすることがイノベーションに必要と言われている時代において、異質に飛び出た個を引き出しそれをぶつけ合わせることができるかが必要で、
このぶつけ合わせること、プロフェッショナルの連携が、下手な分業にならない・下手に同質化させないというこのバランスが難しいようには思えた。
しかし何よりも「プロフェッショナルな部分を生かすこと」こそが大事だと感じたところである。
もちろんその場の仕事には生かしにくいプロフェッショナルもあるだろうけど、そもそもプロフェッショナルになるように伸ばすことがこれまであまり行われてなかったのかもしれない。
難しいのは実際にはどうしても存在するマネジメント層から見て、「誰かの思い通りに作らせるスタイル」のほうが安定して見えるところはあるように感じる。
多様性をぶつけると、そこには価値観の衝突があるわけでどうしても「揉めている」ような要素は出てきてしまうだろう。
しかしそこの重要性はあらゆるところで語られているわけで、マネジメント層も逃げてはならないのだろうと思った。

西日本豪雨(平成30年7月豪雨)ボランティア感想

7月と9月に2回にわたって西日本豪雨のボランティアに行ってきました
7/16:総社市
7/17:倉敷市(真備町)
9/11:呉市
9/12:坂町
感想としては、多少運にもよるけど知らない人と話すことも含めて割と楽しいから、多少お金と時間に余裕があれば軽率に参加しようぜ!
という感じです。
ちなみに今回が初ボランティアですが、行った動機は「おまえら会社の金でボランティアは行くのに、自費じゃ行かないんだろ?」という熊本地震の時に自分の行きたい希望が通らなかったことへの不満を発散しただけです。
まああとはあの頃は心にゆとりがあったのでちょっと行っておくか的な(7月とか気象予報士試験どうした感ありますが)
なんか仕事でも世の中の役に立ってる感がなかったんですよね。そういうので安直に役に立つことじゃないですか。というのは間違いなくあったでしょう。

準備

市町がオープンに募集している個人で行けるもので行きました。
準備としては
  • ボランティア保険加入
  • 道具をそろえる
    • 防塵マスク(必要)
    • ゴーグル(使っている人はいなかった)
    • 長靴(安全靴型+踏み抜き防止)(持ってない人もいたが必要)
    • 汚れて良い長袖・長ズボン(必要)
    • ゴム手袋(作業によって必要)
    • 軍手
  • 水分と食事の計画

7月岡山

7月の方は地獄の暑さ、連日猛暑日の中の作業でした。
「10分やったら10分休んでください」という指示ですが、ほんとうにそれがギリギリなくらいの暑さ
倉敷市では「合計で2時間動いたら終了」という指示もありましたが、それも本当にそれで限界と感じるくらいでした。
総社では同じ場所で活動されていた高校生2名が搬送、倉敷は戻ったボランティアセンターで倒れられている方がいました。
ボランティア保険に東京で加入する際に「倒れられるのが一番迷惑だから」と熱く言われましたが、倒れると何名もの人の手が必要になるしなるほどなという感じですね。
総社市の方は災害ゴミを搬出する作業、真備町の方は家に入り込んだ土砂のかき出し作業。
総社の方は20人程度小さな集落へ、真備の方は5人一組で1つの家庭に派遣される形でした。
どちらもまずは沈んで使えなくった家具などを外に搬出が終わったかどうかぐらいのタイミングでした。
真備町の方は割と話が盛り上がってそのあたりも楽しかったですね。
4人が東京で、1人が地元の方でした。JD若い!
私の気分としては「暇だから行った」くらいの気持ちですが、「わざわざありがとうございます」とおっしゃってくださるのはうれしいですね。
そんなに長い時間活動できないので、そこは申し訳ない感じですが。
今回は偶然保冷剤的なものを持って行っていて、これが自分自身を冷やしたり、飲み物が温まらないようにするのにかなり役立ちました。

9月広島

もう二月経ったしどんなものかとは思っていましたが、高速道路はまだ災害関連車両限定しか通れなく、呉線もようやく広島ー呉のメインが復旧(一部徐行)とまだ回復しきっていない状態です

呉は寺の裏が崩れた土砂をかき出し、坂町は家の床下の土砂のかき出し。
呉のは崩れた場所で2か月以上たっているので特に湿ってなく、暑さもそこまででもないため動けまくって筋肉が死にました。
一応「10分やったら10分休む」ルールは同じように言われますが、みな余裕があるので「もうちょっと行ける」という感じは見られました。
ここは東京2名、地元3名、岐阜1名みたいな構成でした。
先に同じ作業場に入っていた人たちはほぼ東京の方(こちらはグループで動いている方たち)
坂町は広島駅発のバスなので多分遠征者が多かったです。
東京の人が多かった感じです。沖縄から来た学生もいました。
雨が降ってきたので前半だけで終了。この辺の判断は難しいですが、終了後やみました。
2か月たってもかなり湿った土砂で重くて筋肉が死にました。

全体の話

全体を通してやたらと東京の人が多い感じでした。
どうした関西人・・・。
東京近郊の人>地元の人>>その他 くらいの感じ
学生も多いですが、スーパーボランティアの人の影響で結構高齢のかたも増えたといううわさも聞きましたね。
人の集まり・サポートは町によって色々差があると感じました。
総社市は市長がリーダーシップで引っ張ってましたね。そのおかげか知名度の割には人が集まっていたようです。
企業からの支援で500円券が付いたり後日お礼状が来たりもありますし、消毒や支給品なども充実していました。
倉敷も真備町がかなり衝撃的な映像があり人が集まっていました。
こちらも消毒、支給品はかなり充実していましたね。
呉はなんか電池式の(うるさい)ファンをくれました。まあそこまで暑くないんですけど。
支給品はそれなりですね。
岡山二市は消毒とか泥落としをほかの方が手伝ってくれましたが、人手が減ってきたのもあるのか呉は自分でやる感じでした。まあ別にいいんですけど。
ボランティア参加者への割引とかは充実していて、駅前のかなり良いスーパー銭湯が無料で使えました。
坂町は広島駅からバスで向かったからなのか、支給品はほぼなく、消毒もなかったですね。
広島県がボランティアバス(呉に対してフェリーを出すときもあった)を出しているのは良かったです。
支給されるものがあるからかどこも大体持ち物は持っていますかはあまり聞かれないけど、長袖と昼飯だけは聞かれました。
地震のようにその一帯のものが不足しているわけではなく、岡山駅や広島 駅で買って行って問題ないので昼飯を持っていくのは比較的容易ですね。
総社は総社駅から歩ける距離、倉敷は新倉敷駅からバスがあり、東京からの始発新幹線で間に合うのはかなりメリットでしょう
(総社は私の初日、倉敷は別の方が始発で参加していました)
広島の各地域は呉線が不通になりアクセスが悪かったようで、とある方はタクシーなどで行ったといううわさも聞きました
代行バス覚悟でしたが、直前に呉線が再開しました。
広島空港から呉行きのバスなんかも考えましたね。
アクセスが良いところは集まりやすい、また被害が伝わるところもある程度集まりやすいとは感じました
逆にアクセスが悪いところは集まりにくい、被害が伝わらないと集まらないという話も聞きました。
愛媛に行こうかというのもあったけど松山からの行き方が怪しい(バスがあるけどちゃんと走ってる?それで行って大丈夫?とかの不安)
井原とかも公共交通機関では行き方がわからない
また呉にしてもいくつかサテライトがあってどこに行くのがよいのかわからないというのはありました(後から知りましたが天応地区とかがひどかったらしいですね)
この辺は本当に難しい
ボランティアバスは知ってたけど、サテライトに行くのは直接行くことは考えてもいなかったという人もいました。
運用側としてボランティアの回し方も難しいですね。
基本は家庭にお邪魔してそこの課題を解決するわけですが、正直家の人も「どうしたらいいのかわからん」という状態だったりするわけです。
とはいえ回す側の人は足りてないので、どこにどのグループを派遣させるかで精いっぱい
坂町などは地域の町内会長が取りまとめして、その人もどうするかを多少考えていました
初期は携帯電話も通じにくかったようで声が聞き取れないみたいな感じで運用側も大変そうでした。
この手のは人の数が必要なことだとは思うので、余裕のある時は今後も参加していきたいです。

私の気象予報士試験の勉強内容

2018年度の1回目の試験(8/26試験、10/5発表)で気象予報士試験に受かりました。
参考にはならないとは思いつつ、勉強内容と手法の意図などを書いておきます。

ちなみに自分は6月頭から勉強を始めて3か月弱で合格しましたが、昔ちょっと受けて落ちたのと、大学院の専門が大気力学、仕事でも気象データを扱うことがあるなど知識面での優位はかなりあったと思うので、一般的に3か月で受かるとは思っていません。
一般知識が普通ハードルだと思いますからね。私は一般気象学を1回読めば思い出せるくらいにはもともと頭入ってました。
とはいえどう考えてもはじめの2ヶ月はゆるゆる勉強だったので、追い込める人なら3ヶ月で行けるかもしれません。

まず「天気が好き」とかはまずいったん置いておいて「試験に受かること」を第一目的にする。
楽しいとかは二の次で、受かってからどや顔で楽しめばよいじゃないという感じは大事だと思います。

一般知識

一般気象学(6月中)→らくらく突破気象予報士[学科一般知識編](直前1日)
一般知識の内容は一般気象学の内容を理解していないと始まらないとは思っています。
ちなみに「一般気象学全部理解した」の心持ちで試験2週間前に過去問解いたら5点しか取れなかったので、あくまで理解はスタートな気がします。
5点は偶然かと思いましたがその次に6点取ったので多分実力的にそんなものです。
逆に言えば理解ある程度できていれば、最後の追い込みで合格点まで行くことは可能なのかなと思います。
それでやばいと思って、らくらく突破気象予報士[学科一般知識編]を買ったのは、まさかの試験一週間前です。
理解はしているので一日かけて(実質遊びにも出かけた日なので半日程度)「覚えること」だけをリストアップ
またあくまでマークシートなので「単語名」を細かく覚える必要はないという気持ちでとにかく頭に入れる内容を出す、
残り一週間は隙間時間はそれをチラ見する感じで試験を迎えました。
これで本番は12点でした。
もう少し頑張るとしたら、一般気象学の図の類を細かく見たかったくらいの感じです。
図の細かいところついてくるなーみたいな問題はたまに出るので。

専門知識

らくらく突破気象予報士[学科専門知識編](7月+直前1日)→多少気象庁の説明ページ
観測系は覚える、予報情報系は普段から触れ合うという感じでした。
観測系はあまり見ることないですが、気象庁ページを見ていればこんな予報データあるんだという気づきは結構あるので、あとはそれを普段から見ているとそんなに覚える要素はなかったかなと思います。
本の内容は諸々古かったので、適宜気象庁の説明ページで書き換えたりはしましたが。
こちらも試験2週間前は合格点行かないかなー程度でしたので、らくらく突破気象予報士を一般知識と同じように「覚えることのリストアップ」を行いました。

学科

この一冊で決める!!気象予報士過去問徹底攻略(8月頭)
ちょっとだけこれもやりました。
基礎知識面ではよいですが、実際はもう少し癖のある問題が出題されている気がします。
ここの過去問だけ満点取れても正直10点も取れない気がします。
過去問は学科に関しては一応予報業務支援センターが出しているものは全部やった感じです。

実技

らくらく突破気象予報士[実技編](7月末~)→気象予報士試験第1回~第20回テーマ別実技試験 解答と解説(8月頭~)
基本的には試験に出るのは「パターン」しかないと思うので、そのパターンを知ることだけを重視しました。
らくらく突破気象予報士はまさにそのパターンを表しているものでまずは大きなパターンを知る、
そして過去問を数解いて細かい部分のパターンを知る という感じで「知らないと解けない」から「数を知る」を重視しました
さすがに第1回~第20回だと古すぎて航空予報とかもあるので、その辺は飛ばしましたが。
実際の試験は75分ですが、記述も雑に書く・キーワードだけ書くみたいな形で75分で採点と覚えることのまとめが終わるくらいのペースで数を回しました。
(時間があれば真面目に向き合った方がいいと思いますが)
気象予報士という名前ですが、実技は予報をするのではなく予報資料を正しく読んで正しく表現できることが求められていると思います。
75分という枠でまじめにやったのは多分直近の過去問2回分くらいしかないですね。
まあこれはさすがにやりすぎで、当日は
「時間配分がわからない」「実技で書く自分の文章が適切かわからない」という不安は結構ありました。
主に上の本をやったので直近の過去問は4回分もできなかった気がします。古いという点ではマイナスですが、解説という点では優れているので、まあ時間がない中では効率良かったと思います。

気象予報士試験当日

前日の寝た後に仕事のサーバーのアラートが上がり、起きた後も仕事のサーバーの別のアラートが上がる素敵な感じはありましたが、
1度目のアラートが上がった後寝られなくなり読んだ実技の参考書の部分(天気記号)が出たので、意外とそのおかげで受かった可能性もあるなとは思いました。
冷房直あたりで、冷房風で紙が舞う素敵な座席でもありましたが、この辺りはいろいろ想定していたので、こういったことも含めた準備が大事かなとは思います。
上着を持って行ってましたし、少なくとも試験票は飛ばない工夫はできるようにはしていました。
あとはリラックスはしてた。頭に血が行き過ぎないように、昼休みは食べる時間以外は完全に散歩してましたし。
まあちなみに実技2はあまりできた気がしないなかで1点でも稼げるようには頑張りましたが、
周りやTwitterで見る、色々な受かった方々が「そんなに自信がない」というのは自分も当てはまってました。

2018年西武ライオンズ優勝パレード

https://photos.app.goo.gl/7LxcsfKwufk7q78M6

10年ぶりの優勝を果たし、11/23に優勝パレードがあったライオンズ。
日本シリーズにも行けなかった悲しみもありつつ菊池雄星、浅村栄人、炭谷銀次郎が抜けるとあって、しばらく優勝はないかな・・・という気持ちもあり、優勝パレードへ
11~12時という情報しかなかったのですが、11:00~30が駅前セレモニー、11:30~12:00がパレードだったようです
駅前は人が多かったので割とゴール寄りに構えてましたが、だいぶ待ちぼうけを食らいました
https://sp.seibulions.jp/news/detail/00002236.html

10:40くらいに所沢駅到着で駅前は凄い人の数でどんどんゴール側に歩いて11時くらいに落ち着いた感じですが、ゴール側は頑張って隙間探せば1列目も、2列目は間違いないというくらいの空き具合でした。

パレードの流れは

  • レオとライナ
  • ブルーレジェンズ
  • 辻監督のオープンカー
  • 選手会長増田選手のオープンカー
  • 選手が乗ったバス3台

という感じ。
あっという間でしたね

どのバスに誰がいるかもわからないし、カメラで撮るのか実際見るのか迷いながら見るほうを優先したらほぼまともな写真がありませんでした・・・。
あと日陰にいて日向の選手がうまく撮れなかったとかも含めてほんとにまともなのが少なかった。
唯一2台目にいた源田選手だけは後ろ向きにアピールしてくれたため、通り過ぎた後にいい感じの写真が撮れたかなという感じです。

写真的には微妙でしたが、
今年移籍して活躍してくれた榎田選手、小川選手、エースになる前から応援してた西口コーチなどの姿も見られて行って良かったな思います