SHOE DOG(シュードッグ) 感想

話題のビジネス書的に陳列されていたので読んでみた。
が、ビジネス書としては個人的には得るものがほぼなかった。

ナイキといえば靴で、昔ならバスケットとかでエアなんとかみたいなやつがあって、バスケやらなくも子供の時人気だったし、今は陸上界でなんちゃらフライみたいのが席巻してて、「靴」についてもっと書かれているのかと思ったが
「他ではやってないことを追求している感」はあったが、具体的なこだわりみたいなものは見えてこなかった。
むしろ大体が「金がやばい」って話しかしてない気がする。

日本的にはオニツカタイガーやら日商岩井やら出てきて、楽しめる要素もあるかもしれない。ただノンフィクションの、ナイキの物語だから楽しめている程度で、描写が物語として面白く書かれている気もしない。
しょせんは自伝というくらいの感じである。

陸上をやっているものからすれば「ヴェイパーフライ」「オレゴンプロジェクト」というのは熱くさせるものである。
特にヴェイパーフライは「厚底」でこれまでの常識を変える、まだ履いたことはないが非常に興味があるもの、
オレゴンプロジェクトも大迫選手がいるからであるが、日本男子マラソンの希望でもある選手がそこで成長して結果を出したというので、
ナイキ自体は「すごい」というのを感じている。
というところには別に触れるわけでもなく、創業から株式公開までの波乱の歴史を述べただけという感じである。

サクッと読めたなら面白かったで終わっただろうけど、結構厚くて結構時間かかったからね・・・。
世の中的に売れている、評価もAmazon的に高いという本の中では久しぶりに自分の中では何も響かなかった本でした。

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦 ブランド人になれ! 感想

ザ・自己啓発本という感じ
この本を読んでいる時点でおそらく「ブランド」を確立したい人なんだろうな、と思うので、その中でそのブランドを作る方向性を考えたり、やる気を出すのにとても良い本だと思う。
一字一句細かく読む本ではなく、次の自分の行動をどうするか考えながら、これをやろうというものを決める感じにはなると思う。
「どういうブランドを確立するのか」という点にはそこまで焦点が当たってはいない気がする
また内容的には「オレオレ」度が強いブランドにもなりえる内容だとは思う。
Lead the selfをして、Lead the peopleできるような形でリーダーシップとしてのブランドを確立したいというのが自分の気持ちである。
参考:https://globis.jp/article/6058 働き方改革に必要なのは「Lead the self」できるリーダー

ランチの時間でもブランドを高める努力をするようなこととか、
そこまでやる気はないが、わずかな追加の積み重ねが大きな差になってる部分にはなるだろう
このブログを始めた理由も、わずかな差を積み上げるために、何かしたときに気づきを増やそうという狙いである。
この本に書かれていることをそのままやるのがよいかどうかはわからないが、自分で考えてどうありたいかというところは再度見直し、それに向かっていきたいとは思う。

なぜ日本企業は勝てなくなったのか―個を活かす「分化」の組織論 感想

タイトル通り「日本企業は分化ができていないから勝てなくなっている」という話の本。
空気として同質化的なものを求めがちだけど、見よう見まねで形だけ分化をする。結果、分化はできていない。
「分化」の意味が少し咀嚼できてない面があるが、同じことをするように人を集めるのではなく、個が生きるようにして組織を作るという感じだろうか。
誰か特定の人に依存している形は良くないけども、チーム全員が同じことをする、というのは結果的に個々人の能力を全く生かせていないのだろう。スクラム開発などを行っていて、ある程度は「替えが効く」形での開発を行うが、あくまでそれは最低限のタスクをこなす能力という感じで、そこからさらに付加価値を高めていくには、個々の能力を生かせる組織でないとダメなんだろうと思う。
スクラムにおいてマネジメントみたいなものは可視化することで皆が行う面があるが、
ここに誰か1人がマネジメントする=上下のつながりになる要素があり、そのスタイルで行ってしまうと
デイリースクラム的なものが、俺がマネジメントするためにやる、みたいな形になってしまって分化ができなくなるのだろう。
可視化せずに誰かがマネジメントするスタイルは、ある意味他人にとやかく言われなくない人には楽な働き方で「私の思い通りのものをつくってもらう」「僕が考える最強の○○を作る」ことはやりやすい。
しかしそのスタイルでは相当な知識と勘とカリスマ性先見性がない限りは平凡なものしかできず、競争力のない作り方になっている気がする。
私は作るものを考える、あなたはそれを作る という役割では分化か?とも思ったが、個を生かすのではなくただの分業であり、むしろ外注的になることはそれは違うように思った。
もちろん物を作れる、作るものを考えらえれる、ことがスキルとしてあることは役割を行う意味にはなるが、可視化しないということは考えさせないという点では、能力やりたいことに関係なくマネジメント側が勝手に役割を規定しているところはあると思う。
異なる専門性の集団をという話で、なぜか1年遅れくらいでカンブリア宮殿の初台リハビリテーション病院・石川誠さんの話(2017/6/15)を見たのだが、
医者だけでなく理学療法士、言語聴覚士、看護師などが一つの患者をリハビリするという目的でチーム化し、フラットな関係で行っているというのを見て、それぞれのプロフェッショナル性を生かして、その中で連携しあうことが大事だし、この連携自体はうまく作り上げないとただの分断組織になってしまうのだろうなと感じた。
多様性をマネジメントすることがイノベーションに必要と言われている時代において、異質に飛び出た個を引き出しそれをぶつけ合わせることができるかが必要で、
このぶつけ合わせること、プロフェッショナルの連携が、下手な分業にならない・下手に同質化させないというこのバランスが難しいようには思えた。
しかし何よりも「プロフェッショナルな部分を生かすこと」こそが大事だと感じたところである。
もちろんその場の仕事には生かしにくいプロフェッショナルもあるだろうけど、そもそもプロフェッショナルになるように伸ばすことがこれまであまり行われてなかったのかもしれない。
難しいのは実際にはどうしても存在するマネジメント層から見て、「誰かの思い通りに作らせるスタイル」のほうが安定して見えるところはあるように感じる。
多様性をぶつけると、そこには価値観の衝突があるわけでどうしても「揉めている」ような要素は出てきてしまうだろう。
しかしそこの重要性はあらゆるところで語られているわけで、マネジメント層も逃げてはならないのだろうと思った。